母が笑ってくれた

そして、退院後。

また、前回と同じように通い始めて数日後、夫から食事の宅配のパンフレットを渡された。

この頃は心屋仁之助さんを知っていた。

そして、思った。

私を頼らない方法を伝えよう。

そして、パンフレットを渡した。

思ってた通り父は何とか作れてるから、宅配はやらない。まだ何とか出来る。と言った。

なので私はそれだと心配で作りにきてしまう。お父さんが良くても私が気にする。私のためだと思ってお願い。

そして、親は宅配を頼むようなった。

そして、私は実家に行かなくなった。

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それからまた随分と月日はたつ。

やはり実家からは連絡がない。

気が楽になりながらも、心の奥底では死んでいたらどうしよう。この思いがずっと鈍く痛めつける。

でも、電話をすると親の闇にのまれそうになるし、向こうから連絡ないのに私からするのが癪なのだ。

私はコキツカワレ、

私はイラナイコ

私のシンパイナンテダレモシテクレナイ

そんなとき、親からお菓子が届いた。

手紙はない。

けど、

何度もためらいながら電話をした。

まあまあ元気そうな声。

母がこんな体になったから会いに行けなくてごめんね。って言うので、遠慮を最近はしなくなったのでこんな体になる前からこなかったやん。結局は行きたいか行きたくないかやねん。って言った。

悪気は全くない。ただの本音を正直に伝えた。だから、罪悪感まったくなし。

まっ、だからってうちは行く気ないけど。これは強がり。

そしたら、母が今どれだけ自分が可哀想なのかを話し始めた。

そして、謙遜を加えながらもどれだけ頑張ってるかを話した。

そして最後にだけど、お父さんも倒れたらって心配やけど、あの人は相変わらず元気やわ。

だから私は真実を話したよ。

お母さんがこんな体やから、お父さんは元気やねんな。お父さんはお母さんの世話が生きがいやねんな。お母さん、そんな体になって良かったな、お父さんの健康に貢献してるわ。

生死をさまよった母

息が絶え絶えだった母を私は見てきた

不自由な身体をした母

そんなカワイソウな母に向かって何て酷いことを。

貢献してるわ、と言った後に聞こえてきたのは

母の嬉しそうに楽しそうに幸せそうに

心から笑ってる声だった

母のあんなに素直な笑い声を聞いたことがあっただろうか。

母と父は楽しんでる

傷の舐め合いが楽しいのだ

私はやはり思う

心屋仁之助さんを知ってよかった

もしかしたら本当に幸せになれるかもしれない

そして、お母さん

あなたはやっぱり本当に変な人

そしてやっぱり変わり者で、そんなところが私は物凄く好きなのだ

その声を聞いて、そして、私は私の発した言葉を聞いて思った。

もう、あまり心配じゃない。

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